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日本で初めて生体肝移植を受けた患者であり、日本の移植医療の発展に大きな貢献をした伝説の少年である。1歳9ヶ月で没。
当時、生体肝移植はまだ確立した医療ではないとして保険対象外となり、患者側の費用は1,000万円以上と莫大なものだった。
また医者も、失敗すれば殺人罪、成功しても倫理上の非難により医者生命を絶たれる危険性がある中で移植に踏み切った。
執刀は島根医科大学第二外科教授(当時)の肝臓外科医、永末直文であった。
男児は言葉を幾つか覚えるまでに成長できたが、結果として彼は長く生きることは出来無かった。
しかし彼の存在と、その親族の理解があったからこそ、今の移植医療がある。この手術によって生体肝移植の技術が固まったことで、その後千人以上の子供が助かることになった。まさに金字塔といえる。
現在、岩国市医療センター医師会病院のロビーには彼の銅像が建てられている。
彼は立って歩くまでは生きられなかったが、銅像は立派に二本の足を地面について立ち、患者を見守っている。
この手術にまつわる苦労話については様々なメディアで語られているが、NHKのプロジェクトX 第12回が詳しい。
またドラマでは水島総監督の「裕也ちゃん、生き抜いてくれ」などがある。
後者は美談、前者は最後に死亡するところまで語られている。いずれも涙なくしては観られないであろう。
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