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円相場

辞書:文化用語の基礎知識 経済編 (LECO)
読み:えんそうば
品詞:名詞
2008/10/03 作成
2013/05/25 更新

日本円に対する、外貨の相対的価値(為替レート)のこと。

通常は、外貨に対する日本円の価値で表現し、例えば1ドル100円、のように外貨1単位の価値で表わされる。

但し慣行によっては、他の表現方法をすることもある。

長く、日本円と直接交換されるストレート通貨は米ドルだけだったので、円相場と言えば、通常は米ドルに対する円の相対価値をいうことが多い。

初期の相場

日本円はかつて、固定相場制だった。

円とドルは、明治期初期の1871(明治4)年に1ドル=1円という相場から始まった(当時の1円は、現在の貨幣価値で1万円から2万円相当とされるので、超円安である)。

幾多の変遷を経て、大東亜戦争に敗戦してからはGHQにより設定された相場が長く日本を支配した。

  1. GHQにより、為替レート1ドル=360円の固定相場が設定された(ブレトン・ウッズ体制)
  2. 1971(昭和46)年、スミソニアンレート(1ドル=308円)に移行した(スミソニアン体制)
  3. 1973(昭和48)年2月、完全な変動相場制に移行した

ブレトン・ウッズ体制

GHQにより、為替レート1ドル=360円の固定相場が設定された。

なぜ1ドル=360円だったのか、このレートが本当に妥当なものだったのかは、定かではない。

一説によると、円は360度なのでこうなった、などと嘘か本当か分からないような事も言われている。

当時は、1ドル=300円程度が想定されていたとも言われるが、戦後激貧国となった日本の円は、この程度の価値しか無かったということである。

スミソニアン体制

1975(昭和50)年4月、ベトナム戦争でアメリカはまさかの敗戦を喫し、ベトナムを共産勢力下としてしまったのみならず建国以来初の敗戦国となったが、スミソニアン体制に移った1971(昭和46)年の時点で既に劣勢が明らかだった。

当時は「金本位制度」が採用されていたが、経済は疲弊し、もってアメリカは金とドルの交換を停止した。これは「ニクソン・ショック」と呼ばれている。

これによりブレトン・ウッズ体制は崩壊し、スミソニアン体制へと移行した。

スミソニアン体制では、ドルは約7%切り下げられ、他の通貨との交換レートも見直された。この時、1ドル308円と、約16.9%切り上げられた新レートが作られた。

しかし、この体制はわずか2年で崩壊したのである。

移行

1973(昭和48)年に発生したオイルショック以降、主要国通貨は全て、需要と供給のバランスで決まる変動相場制へ移行することとなった。

この時、日本円も変動相場制へと移行した。

これ以降、ドル・円相場はどんどん高騰し、1973(昭和48)年には260円程度にまでなった。

暴騰

1985(昭和60)年にはドル高対策としてプラザ合意が行なわれ、円高に拍車を掛けた。プラザ合意の前日の東京市場は1ドル=242円であったのに、数年後、1988(昭和63)年には128円程度にまで円高が進行した。

あまりにも円高が進み輸出の競争力が落ちたため、公定歩合引き下げなどの政策を実施、その後はバブル景気に沸いた。

1992(平成4)年前後のバブル崩壊によって一時は円安となる。徐々に値を戻すが、2001(平成13)年〜2002(平成14)年の景気後退で再び円安が進んだ。

経済低迷期を脱した2003(平成15)年以降は、イラク情勢の影響を受け、徐々に対ドルで円高が進んだ。円高騰に絶えかね、2004(平成16)年には遂に伝説の日銀砲が放たれた。

リーマン・ショック

2008(平成20)年9月15日、アメリカ大手金融機関リーマン・ブラザーズが、サブプライムローン問題などで経営が行き詰まり破綻した。これをリーマン・ショックという。同日、メリルリンチも破綻、バンク・オブ・アメリカへの買収が発表された。

これ以降ドルは暴落、同時に欧州経済の不安も高まり、円高が進んだ。

2008(平成20)年1月頃は110円前後で推移していたが、不安の高まりに応じて円高が進み、3月頃に一時100円を割り込み、その後は値を戻すも、10月には再び100円を割り込んで戻る日は皆無となった。

更に2009(平成21)年、ドル安の余波により、アラブ首長国連邦のドバイ政府系不動産開発会社が債務支払猶予を申請、中東向けに多額の融資をしていた欧州系金融機関への不安が再燃、ドル安に加えてユーロも売られ、結果として更に円高が加速した。

民主党不況

2009(平成21)年9月16日には鳩山由紀夫内閣が成立、ここから3年間は日本の経済は半崩壊状態となった。同月、米ドル/円は遂に80円台に到達、これ以降民主党は熱心に円高ウォン安政策に取り組むことになる。

菅直人内閣時代の2011(平成23)年3月11日には平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震が発生、菅直人に福島第一原子力発電所を破壊されたが、2011(平成23)年3月17日に相場は突如急伸し、一時1ドル76円25銭と、変動相場制移行後の最高値を記録した。

翌日には80円台に値を戻すも81円前後の値動きが続き、2011(平成23)年7月12日頃から再び70円台に突入した。これは、介入のデマが流れたためとされている。

2011(平成23)年9月2日に野田佳彦内閣が成立、民主党は熱心に円高政策を続け、76円前後が維持された。

2011(平成23)年10月31日、突如、相場が円安に振れ、午前中に一時79円台半ばまで値を下げた。これは、安住淳財務大臣が8兆0722億円の介入を断行したためである。翌日の11月1日にはまた元の値に戻ったが、11月1日に2826億円、2日に2279億円、3日に2028億円、4日に3062億円のドル買い/円売り介入を実施しており、その後の覆面介入含めて総額10兆円以上も溶かしたというが、円は殆ど値動きしなかった。

2012(平成24)年2月、徐々に円安傾向となり、久々の80円台に復帰。しかし民主党の徹底した円高ウォン安政策で、2012(平成24)年4月末には再び70円台に値を上げた。

安倍景気

2012(平成24)年11月14日、野田佳彦が解散を表明、遂に野田佳彦内閣と共に民主党政権が終了することが決定的となった。

これを受けて円相場は急伸、14日には80円、15日には81円、21日には82円、12月12日には83円、17日には84円と、まだ何もしていないのに、円高過ぎた円相場は元に戻り始めた。

2012(平成24)年12月26日に安倍晋三内閣・第二次が組閣され85円、翌27日には86円、2013(平成25)年1月2日に87円、4日に88円、11日に89円、17日に一時90円を付け、25日以降は91円前後で推移した。2月1日には一時93円、6日には一時94円を付け、何もしていないのに3年前の相場に戻したのである。

更にその後も円の価格は下がり続け、2013(平成25)年3月7日には一時95円、翌8日には96円を突破、4月5日に97円、土日過ぎて月曜の4月8日にはいきなり99円を突破した。

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