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平安京の宮城の名。別名は平安宮。
平安京の中央北端に、東西約1.2km、南北約1.4kmのやや長方形で作られた。大内裏の周囲には築地塀が築かれていた。
当初は陛下のお住まいである内裏のことを大内裏と呼んでいた形跡があるが、やがて宮城全体を大内裏と呼ぶようになった。
平安京の中心となる存在だが、幾度となく大火で焼失しては再建が試みられた。止めとなったのは安元3年5月27日(1177年6月25日)に平安京内で起こった大火災「安元の大火」であり、正庁の朝堂院などが消失した。
治承・寿永の乱で朝廷は著しい財政難に陥っており、このため安元の大火で消失した大内裏の再建は遅々として進まなかった。ようやく再建されても、今度は承久元(1219)年の承久の乱で内裏まで含めて消失。乱後、朝廷には既に力がなく幕府に完全に従属するようになる中で建物の再建は試みられたものの、安貞元(1227)年に火災で全焼、ここで大内裏の再建は完全に断念された。
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