メレヘン事件

読み:メレヘンじけん
品詞:固有名詞

ドイツ軍の西部攻勢作戦がベルギー軍に知れてしまった事件。

目次

1940(昭和15)年1月10日早朝、ドイツ軍の伝書使の一少佐が、あまり重要でない細部の作戦を打ち合わせるために、ミュンスターからボンへと飛んだ。

途中、極寒と強風に見舞われた彼の飛行機は、に覆われたライン川上空で機位を失い、ベルギー領の寒村メレヘン近辺に不時着してしまう。

彼は重要書類を焼却処分する間も無くベルギー当局に拘束されるが、実はこの重要書類とは西部における攻撃の全作戦計画書だった。そのため、計画書がベルギー軍の手に落ち、ドイツ軍の西部攻勢作戦が知られてしまった。

ドイツ側の対応

同日夕刻、ベルギー国王がオランダ女王と電話で長いこと話し合ったことがハーグのドイツ大使館付空軍武官より報告された。これにより、同計画書が敵の手に落ちたことが、ドイツ側にも明白となった。

ヒトラーは当初、直ちに作戦を実行しようとしたが、そこに丁度以前聞かされていたマンシュタインの立案した作戦計画を思い出した。

この作戦は連合国側の手に落ちた「第一次黄色作戦」とはまったく異なる作戦だったため、敵の裏をかけると喜び、当初のに替わって採用することを命令した。

連合軍側の対応

ドイツ軍の作戦計画は、一部焼失してはいたものの重要なところは殆ど焼け残っていた。その写しはベルギー軍から英仏両政府に送られたが、両軍事当局はこの書類は自分たちを欺くドイツ軍の謀略だと判断した。

しかし、ベルギー軍を警戒させ、英仏軍と密接な関係へと追いやるような謀略をドイツ軍がしても利益が無い。何より奇妙なことは、この事件が事故であれ謀略であれ、ドイツ側がこの作戦計画とは異なる作戦計画で攻勢をかけてくることは間違いないにも関わらず、何らの対策も講じなかった。

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