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紀元前10世紀から紀元前4世紀頃まで、イタリア半島北部トスカナ地方を中心に活躍した民族。民族系統は不明であるが使用言語はインド・ヨーロッパ語族でないとされる。原住地は東方小アジアからの渡来説・北方からの南下説・土着説などがあるが、ヘロドトスが記載するように小アジアから来住したとする説が有力である。
紀元前7世紀から紀元前6世紀が極盛気で、北はポー川流域、南はローマまでのラティウムを勢力圈とし、シチリア・コルシカ・サルデーニャ地方にも力を伸ばした。紀元前5世紀には南方のカンパニア地方まで支配を伸ばすが、ラティウム諸市の反抗が起こり勢力が衰え、紀元前3世紀頃までにはローマに征服されていき、独立性を失った。エトルリア語もローマ共和制末期、キケロの時代には忘れ去られてしまう。
しかしながら、ローマの官職や鳥卜官のような宗教的役職、アーチ樣式や舗装道路に下水道と云った、エトルリア人の制度・芸術・宗教・習俗・技術はローマに多くの影響を与えた。
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