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成田国際空港

辞書:国土用語の基礎知識 民間航空編 (EACIVIL)
読み:なりたこくさいくうこう
外語:Narita airport 英語
品詞:固有名詞
2004/09/29 作成
2016/04/28 更新

千葉県成田市にある空港で、関東二大空港の一つ。2004(平成16)年3月までの名称は「新東京国際空港」。

  • 所在地: 千葉県成田市三里塚地区
  • 開港日 ‐ 1978(昭和53)年5月21日
  • 種別 ‐ 空港法第四条に掲げる空港
  • 空港コード
  • 管理者 ‐ 成田国際空港株式会社(旧:新東京国際空港公団)
  • 面積 ‐ 700ha
  • 設置場所 ‐ 陸上
  • 運用時間 ‐ 17時間(6時〜23時)
  • 管制方式 ‐ 単独管制
  • 無線施設 ‐ VOR、DME、TACAN
  • ターミナル ‐ 2棟
  • 着陸料 ‐ 2,400円/トン
  • 停留料 ‐ 180円/トン
  • 給油施設利用料 ‐ 3.92円/L
  • 国内・国際乗継 ‐ 空港内水平移動 (但し、殆どは羽田空港との間での乗継)
  • アクセス ‐ 鉄道(JR東日本京成電鉄)、高速道路
  • 施設利用料 ‐ 大人2,040円、小人(2歳以上12歳未満)1,020円
  • 滑走路
    • A滑走路(4,000m×60m)
    • B滑走路(2,500m×60m)

滑走路の延長(暫定2180m→2500m)は、2009(平成21)年10月22日供用開始。

空港名

この空港の名称は完成以降長らく「新東京国際空港」だった。

2004(平成16)年4月1日、成田国際空港株式会社法が成立・施行され、空港を管理する「新東京国際空港公団」が「成田国際空港株式会社(NAA)」と名称を変え民営化(特殊会社化)されたのにあわせて、空港の名称もそれまで通称だった「成田国際空港」に改称された。

旅客ターミナル

旅客ターミナルは第1と第2(1992(平成4)年12月6日オープン)の二つがある。

ターミナル間の移動は連絡バスを使って15分程掛かるため、ターミナルを間違うと大変なことにもなりかねない。

特に、近年増加している共同便(コードシェア便)は、「運航会社側」のターミナルになるため、自分のチケットの航空会社のターミナルと一致しないので注意が必要である。

また、両ターミナル間の航空会社の割り振りは離発着数のバランスが取れておらず、さらに近年のアライアンスのパートナーも考慮されていないため、殆どのコードシェア便が自社運航便とは異なるターミナルから発着するという状況となった。これを是正するため、第1旅客ターミナルの改修が完了してから、大幅に組み替えられた。

アクセス

空港へのアクセスとして、道路東関東自動車道の成田IC/JCTと接続する新空港自動車道と国道295号が接続されている。

鉄道はJR成田線(特急成田エクスプレス、快速エアポート成田)と京成本線(スカイライナー、特急、快速)が接続されており、第1ターミナルの下に成田空港駅、第2ターミナルの下に空港第2ビル駅がある。

また、京成電鉄東成田線と芝山鉄道の東成田駅もあるが、こちらはほとんど利用されていない。

首都圏の場合、空港は国際線の成田と国内線の羽田と住み分けがなされているため、国際線・国内線の乗り継ぎは、両空港間を跨がねばならない。この場合、航空便は殆ど無いため地上移動によらねばならず、速いが高いリムジンバス(75分、3,000円)か、時間は掛かるが安い京成電鉄のエアポート快速特急(105分、1,560円)を利用することになる。

構造

成田国際空港の概景
成田国際空港の概景

A滑走路が主要滑走路で、並行して北にB滑走路がある。本来は南方向に延伸する予定で暫定滑走路が作られたが、建設妨害の極左が退かないため、北方向へ延伸された。

横風用のC滑走路も建設途中であるが、現在は建設が凍結されている。既に出来た部分は舗装されているが、そうでない部分は舗装されていないため、航空写真で見ると建設妨害の爪痕が分かり易く表わされている。

事故

開港以来重大な事故はなかったが、2009(平成21)年3月23日06:50(22日@951)頃、支那・広州発のアメリカの定期貨物便「FedEx Express Flight 80」(MD-11型機、乗員2名)がA滑走路で着陸に失敗、横転し炎上する事故が発生した。事故原因は定かではないが、横風に煽られた説や、ウィンド・シアが発生した説などがある。

火災は約50分後に鎮圧されたが、残骸などが大量にあるため、回収と滑走路の補修のためにこの日はA滑走路は閉鎖され大型機の離着陸が不可能となった。再開は翌日、2009(平成21)年3月24日09:10(@048)である。

この事故で、乗員は2名とも死亡したが、死亡事故は成田空港開港以来初であった。

空港需要

戦後復興も一段落し、高度成長期に入り出すと、国際線の需要が高まりだした。

特に首都圏ではこの傾向が顕著だったが、既存の東京国際空港(羽田空港)は手狭で、その需要に応えることは出来なかった。

そこで、それに代わる新しい国際空港の建設計画が練られるようになり、1962(昭和37)年、政府は新国際空港の建設方針を閣議決定する。

闘争開始

1965(昭和40)年11月、政府は建設予定地を千葉県富里村(現在の富里市)に内定したが、地元住民の抵抗が非常に強く(富里反対闘争)、話し合いは難航した。

このため1966(昭和41)年7月4日、佐藤内閣は国有地の下総御料牧場があり、用地買収が容易であると考えられた千葉県成田市三里塚に予定地を変更した。

しかし寝耳に水であった三里塚の住民はこの政府決定に大反発、成田空港反対同盟を結成して反対活動(三里塚闘争)を始めた。これに反帝学評(革労協)、第四インター、中核派などの新左翼の過激派が合流、反対運動は過激さを増す一方で、政府の当初目論見は大きく外れることとなった。

戦法

この反対運動で有効な戦法として行なわれたのは「一坪地主運動」という。

建設予定地の土地を一坪単位で多くの人が所有することによって、政府が土地を買い上げるための交渉相手の人数を膨大なものとし、万一強制執行により土地を取り上げられる場合においてもその手続きの手間を増やそうというものであった。

土地が一向に買収できないため、政府は土地収用法に基づき、1971(昭和46)年2月22日と1971(昭和46)年9月16日の二度に渡って行政代執行を実行。特に二度目の時には東峰十字路で機動隊員3名が殉職した。

建設中

政府は必要最低限の土地の買収を終え、1973(昭和48)年には一本目の滑走路の建設に着手した。焦った反対派はまだ残っている土地に航空機の進路を妨害するように岩山大鉄塔を建てて、開港を妨害した。

政府は話し合いによって解決を試みようとしたが、埒が明かないため1977(昭和52)年5月6日、鉄塔の撤去に踏みきった。ここでも、反対派の救護に当たっていたボランティアの頭に機動隊のガス弾が直撃して死亡している。また、三日後には暴徒と化した過激派が交番を襲撃し、警官一名を殺害している。

このような状況下でも何とか空港の建設は完了し、開港を4日後に控えた1978(昭和53)年3月26日、厳重な警戒が敷かれている中の空港に過激派ゲリラが突入し、管制塔内の機器を破壊した。機器の修理のため開港は延期され、開港は1978(昭和53)年5月20日となった。また、突入の際に活動家1名が火傷を負い2ヶ月後に死亡している。

開港後

動向

開港後も反対派の運動は続き、現在も未解決のままである。

反対運動が大きくなるにつれ、その内容も当初の目的を忘れた単なる暴徒と同レベルとなり、現在では殆ど国民の支持は無い。何よりこの反対運動のせいで空港機能の拡充は遅れ、未だに計画は完了出来ずにいる。

利便性

東京都心から60kmと遠く離れた空港であるため、そのアクセスのために成田新幹線やリニアモーターカーの建設が予定されていたが、中止された。代わりに建設されたJR線や京成線も、営業開始は開港から大分経ってからのことである。

さらに、反対派のテロ行為を防ぐため、空港の出入りは厳重なチェックを受けねばならず、実に使いにくい空港となってしまった。

運用時間にも制限が大きく、ジェット燃料輸送の本格的パイプラインの建設も大幅に遅れ(完成は開港から5年後の1983(昭和58)年8月8日)、完成までは列車などによって輸送していた。

これだけ不便で使用しにくい空港ともなれば、首都圏第三空港や羽田再拡張事業の話が出てくるのも当然である。そうなれば、相対的に成田の地位の低下は免れず、それは地元産業の地盤沈下も伴うものとなる。これは自業自得とも言えることであるが、羽田の再拡張事業が始まり、羽田の国際線再開が検討され出すと、その反対運動を繰り広げている。

これは大阪国際空港の騒音公害で住民訴訟を起こし、空港閉鎖を求めていた一方、関西国際空港の建設が決まり、いざ空港の閉鎖が決まった途端に残留運動を行なった伊丹市民よりも質が悪いと言わざるを得ない。

管制塔

開港直前に過激派ゲリラが突入され機器が破壊される占拠事件のあった管制塔。

ある種の記念碑的な存在であったが、老朽化のため新管制塔が建てられ、旧管制塔となった。この旧管制塔も2018(平成30)年に撤去されることが決まった。警官に殉職者まで出した成田闘争の象徴の一つが姿を消すこととなった。

滑走路

滑走路は一本だけ

日本の首都圏の国際線を担う空港でありながら滑走路が長く一本しかないという、世界的に見ても異常な状態が続いた。

2番目の滑走路は当初から計画されていたが、開港自体が過激派に妨害されたこともあり長く建設できずにいた。しかし2002(平成14)年にサッカーワールドカップが開催されるため、この日までのB滑走路運用開始が目指された。

滑走路予定地はその大半の買収が完了していたが、僅かに反対派の一坪所有地が点在し続けていた。このため建設位置を北側に800mずらし、長さも予定の2,500mから2,180mに短縮した「暫定滑走路」として1999(平成11)年12月から建設が開始された。

B滑走路建設

難航した空港建設とは打って変わりB滑走路建設は順調に進み、予定よりも1ヶ月早い2001(平成13)年10月31日に完成。運用開始も、2002(平成14)年5月20日の予定から1ヶ月早められて2002(平成14)年4月20日となった。

しかし暫定滑走路として何とか建設された2,180mのB滑走路は地方管理空港(旧・第三種空港)の滑走路に匹敵する短さであり、B767程度の中型機までしか利用できなかった。

今後の航空需要に対応すべく、当初の予定通りの2,500m滑走路の整備が目指された。南側は過激派の妨害があるため北に延伸、北方向には国道51号が存在したが、飛行機の荷重に耐えられる新トンネルが掘られ、無事に2,500mに延伸された。

B滑走路の南側

B滑走路の北への延伸は実現したが、B滑走路の南側の誘導路予定地には過激派の団結小屋「天神峰現地闘争本部」なるものがあり、誘導路は長く「への字」に曲がったままであった。

この小屋は開港前の1966(昭和41)年に建てられたもので、過激派の元幹部が自宅の敷地の一部を提供し、建設されたものである。これも成田新法こと「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(現在の法律名は成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法)により1990(平成2)年に封鎖された。

土地は成田国際空港会社(NAA)が2003(平成15)年に元幹部側から買収、2004(平成16)年には土地の明け渡しを求め過激派を提訴した。

2011(平成23)年5月の東京高裁判決に基づき、成田国際空港会社は千葉地裁に建物撤去の仮執行申し立て、2011(平成23)年8月6日未明、千葉地裁が強制執行した。

現場は過激派の妨害を防ぐため高いフェンスで囲まれ、周囲を千葉県警機動隊などで包囲、地裁の執行官らが2011(平成23)年8月6日04:00(5日@833)頃に鉄筋3階建ての本部内に入ったとする。解体工事は2011(平成23)年8月6日05:00(5日@874)頃から始まり、クレーン車などを使って撤去された。

撤去されても過激派は懲りずに最高裁まで上告したが、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は2012(平成24)年1月25日付で反対派の上告を棄却し、撤去などを命じた2審東京高裁判決が確定した。

ターミナル割り振り

50音順。()で併記するものは、チェックインカウンター。

第1ターミナル

北ウィング

団体旅行の場合、第1ターミナル北ウイングではGカウンターを使用する。

南ウィング

団体旅行の場合、第1ターミナル南ウイングではJ・Kカウンターを使用する。

  • IBEXエアラインズ (南ウイング1F・国内線チェックインカウンター)
  • アシアナ航空 (南ウイング4FカウンターA〜E)
  • ヴァリグ・ブラジル航空 (※現在運休中)
  • ウズベキスタン国営航空 (南ウイング4FカウンターH〜I)
  • エアージャパン (南ウイング4FカウンターA〜F・H)
  • エア・カナダ (南ウイング4FカウンターD)
  • エバー航空 (南ウイング4FカウンターI)
  • オーストリア航空 (南ウイング4FカウンターB・D)
  • ジェットエアウェイズ (南ウイング4FカウンターA〜F・H)
  • シンガポール航空 (南ウイング4FカウンターH〜I)
  • 上海航空 (南ウイング4FカウンターA〜F・H)
  • スイスインターナショナルエアラインズ (南ウイング4FカウンターB・D)
  • スカンジナビア航空 (南ウイング4FカウンターD・E)
  • 全日本空輸(ANA) (南ウイング1F・国内線チェックインカウンター)
  • タイ国際航空 (南ウイング4FカウンターB〜C・G)
  • 中国国際航空公司 (南ウイング4FカウンターB〜F)
  • トルコ航空 (南ウイング4FカウンターC〜E)
  • MIATモンゴル航空 (南ウイング4FカウンターH)
  • 南アフリカ航空 (南ウイング4FカウンターA〜F・H)
  • USエアウェイズ (南ウイング4FカウンターA〜C・E)
  • ユナイテッド航空 (南ウイング4FカウンターA〜C・E)
  • ルフトハンザドイツ航空 (南ウイング4FカウンターB・D)

第2ターミナル

団体旅行の場合、第2ターミナルでは北団体カウンターと南団体カウンターを使用する。

実績

2003(平成15)年の成田の実績は、次の通り。

  • 航空機発着回数 ‐ 17.6万回、羽田(26.8万回)に次いで国内2位
  • 航空旅客数 ‐ 2653万7406人、羽田(6287万6269人)に次いで国内2位、世界26位
  • 航空貨物取扱量 ‐ 215万4000トン、国内1位、世界でも3位(2002(平成14)年に4位よりランクアップ)

国際貨物に限定すれば、香港国際空港(チェク・ラップ・コック)の207万4000トンに次いで世界2位の162万2000トン(いずれも2001年)であった。

航空機発着回数

 2000年度2001年度2002年度
総数133,046129,000176,365
1日平均365353490
A滑走路133,046129,000131,644
B滑走路44,721
国際線127,980124,670165,389
国内線5,0664,33010,976

航空機発着回数

単位:人。

 2000年度2001年度2002年度
総数27,714,79624,891,11329,993,321
1日平均75,93168,19582,173
国際線日本人18,390,62315,685,84918,527,494
外国人5,982,4695,980,6217,173,331
通過客2,542,7702,553,0943,185,124
国内線798,934671,5491,107,372

航空貨物量

単位:トン。

 2000年度2001年度2002年度
総数1,842,5581,603,9402,030,149
1日平均5,0484,3945,562
A滑走路677,517536,485716,354
B滑走路863,473791,481911,786
国内線301,568275,974402,009

航空会社別発着回数

旅客便1,000便以上、貨物便500便以上(2002年度)。

旅客便

日本航空31,996回
ノースウエスト航空15,102回
全日本空輸11,270回
ユナイテッド航空5,105回
大韓航空3,647回
日本エアシステム3,518回
キャセイパシフィック航空3,209回
アメリカン航空3,007回
カンタス航空2,809回
アシアナ航空2,797回
シンガポール航空2,698回
チャイナエアライン2,698回
日本アジア航空2,374回
コンチネンタル・ミクロネシア航空2,239回
タイ国際航空2,214回
中国国際航空2,074回
エールフランス航空1,943回
JALウェイズ1,867回
中国東方航空1,473回
マレーシア航空1,440回
ブリティッシュ・エアウェイズ1,434回
コンチネンタル航空1,402回
エバー航空1,392回
エア・カナダ1,368回
フィリピン航空1,332回
ルフトハンザ・ドイツ航空1,318回
エアージャパン1,185回
アリタリア航空1,016回

貨物便

フェデラル・エクスプレス5,808回
日本貨物航空4,263回
日本航空4,165回
ノースウエスト航空3,821回
ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)1,414回
ポーラエアカーゴ775回
キャセイパシフィック航空770回
全日本空輸589回

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