銚子電気鉄道

読み:ちょうしでんきてつどう
品詞:会社名

千葉県東端の銚子半島で銚子電気鉄道線を営業している中小私鉄(中小民鉄)の一つ。通称「銚子電鉄」「銚電」。

目次

基本情報

  • 商号: 銚子電気鉄道株式会社
  • 本社: 〒288-0056 千葉県銚子市新生町2-297
  • 電話: 0479-22-0316
  • 資本金: 6910万円
  • 発行済株数: 24万株
  • 代表者: 代表取締役社長 竹本勝紀 (2013(平成25)年2月)
  • 従業員: 一般管理4名、鉄道20名、食品事業5名、パート46名 (2010(平成22)年3月)
  • 主たる事業: 普通鉄道(銚子〜外川線)及び食品製造販売業(鯛焼き売店、ぬれ煎餅製造販売)
  • 年商: 鉄道150百万円、食品事業412百万円 (2010(平成22)年3月)

沿革

その社史は波乱万丈の一言に尽きる壮絶なものである。

戦前〜戦中

  • 1901(明治34)年5月1日: 総武鉄道株式会社(現JR総武本線)、外川までの延長免許取得、しかし用地買収失敗
  • 1909(明治42)年12月9日: 地元有力者、銚子人車鉄道計画を政府申請、しかし実現せず
  • 1912(大正元)年: 地元有力者、銚子〜外川間の蒸気鉄道の敷設を申請
  • 1913(大正2)年1月15日: 銚子遊覧鉄道株式会社設立
  • 1913(大正2)年12月28日: 銚子〜仲ノ町〜観音〜本銚子〜海鹿島〜犬吠が開業
  • 1917(大正6)年11月20日: 経営不振で廃止(営業廃止日は同月30日)
  • 1918(大正7)年: 国鉄延伸を求めるが実現せず
  • 1921(大正10)年10月13日: 旧銚子遊覧鉄道の発起人ら、銚子鉄道の敷設願を鉄道省に提出
  • 1922(大正11)年6月20日: 銚子鉄道の免許取得
  • 1922(大正11)年9月29日: 銚子鉄道株式会社を設立
  • 1923(大正12)年7月5日: 銚子〜外川まで開業
  • 1924(大正13)年: 同社ガソリンカー不調で運休多発、鉄道省から蒸気転換勧告。思い切って電化
  • 1925(大正14)年7月1日: 電化開業、電車運転を開始
  • 1925(大正14)年7月1日: 上同日、笠上黒生駅開業、上下線が交換可能となる
  • 1931(昭和6)年6月21日: 君ヶ浜駅開業
  • 1945(昭和20)年7月19日〜20日: 大東亜戦争の空襲で変電所焼失、停電

戦後〜事件まで

  • 1945(昭和20)年12月3日: 国鉄より蒸気機関車を借用し運行再開
  • 1946(昭和21)年6月10日: 変電所復旧、電車運行再開
  • 1948(昭和23)年8月20日: 銚子電気鉄道株式会社に社名変更(現社名)
  • 1960(昭和35)年11月1日: 大赤字のため、千葉交通の系列へ入る。しかし経営状態は改善せず
  • 1963(昭和38)年9月10日: 廃線案が出されるが、地元の懇願で撤回
  • 1969(昭和44)年: 再び廃線案が出されるが、再び撤回、銚子市の助成開始
  • 1970(昭和45)年3月1日: 西海鹿島駅開業
  • 1975(昭和50)年: 国が欠損補助対象地方鉄道に認定、国・県・市より補助金交付開始
  • 1976(昭和51)年2月10日: 観音駅構内に直営売店を開業、名物「銚電のたい焼き」
  • 1984(昭和59)年: 貨物営業廃止
  • 1990(平成2)年1月17日: 千葉交通が電鉄経営権を内野屋工務店の傘下銚電恒産へ売却、内山健治郎社長が銚電社長就任
  • 1990(平成2)年: 無駄な駅舎メルヘン改築開始、銚子駅はオランダの風車小屋風、観音駅はスイスの登山電車の駅風、君ヶ浜駅は地中海の白亜の建物風、犬吠駅はポルトガルの城風
  • 1990(平成2)年12月: 犬吠 新駅舎(ポルトガル風)竣工
  • 1994(平成6)年: 債務超過に陥る可能性が高まる
  • 1995(平成7)年4月: ワンマン運転開始
  • 1995(平成7)年6月24日06:10(23日@923)頃: 線路上にて上下線の正面衝突事故発生、乗客乗員合計7名負傷(死亡者はなし)。以降、笠上黒生駅を境とする別個の閉塞区間を設定し、タブレット閉塞方式で閉塞を実施
  • 1995(平成7)年6月25日: 始発から運転再開
  • 1995(平成7)年9月19日: 犬吠駅で「ぬれ煎餅」の売店を開業、実演販売開始(赤字補填の為)
  • 1997(平成9)年: 煎餅で無事に黒字化、欠損補助金交付が打ち切られる
  • 1997(平成9)年: 仲ノ町駅構内に煎餅工場を建設
  • 1998(平成10)年6月5日: 親会社の内野屋工務店が自己破産申請(負債781億円)
  • 2000(平成12)年2月2日: 資本金1億2千910万円に増資
  • 2003(平成15)年: 内山社長、会社名義で1億円余り借金し着服、特別背任で社長解任、銀行融資停止、経営継続絶望視
  • 2003(平成15)年: 小川文雄専務が自費で株式を引き取り株主となり、社長に就任
  • 2004(平成16)年4月: 行政の補助金から脱却し、完全自力営業開始
  • 2006(平成18)年8月: 元社長(内山)が業務上横領で逮捕
  • 2006(平成18)年8月: 借金を銚電が背負う事が確定(1.1億円)、列車運行すら危うくなる

事件後

  • 2006(平成18)年11月15日: 車両の車検が切れるも検査費用捻出できず、ぬれ煎餅購入を呼び掛ける
  • 2006(平成18)年11月: 電鉄救済の輪が広がる。注文殺到
  • 2006(平成18)年11月20日: デハ701が検査に出される
  • 2006(平成18)年11月23日: デハ701検査開始
  • 2006(平成18)年11月24日13:30(@229): 国土交通省関東運輸局、老朽化した踏切まくらぎ交換等業務改善命令
  • 2006(平成18)年12月2日: デハ1002、外川向き方向幕が盗難に遭う
  • 2006(平成18)年12月10日: デハ1001が車検切れで休車
  • 2006(平成18)年12月20日: デハ701が検査完了
  • 2006(平成18)年12月20日: デハ1001とデハ801の車輪を発注(検査はまだ不透明)
  • 2007(平成19)年1月14日: 市民団体「銚子電鉄サポーターズ」が発足する
  • 2007(平成19)年4月12日: 老朽化した踏切、まくらぎ等の補修を完了、当面の危機を脱出
  • 2007(平成19)年4月12日: 上同日、「銚子電鉄サポーターズ」が基金より970万円を寄贈、補修費用に使われる
  • 2007(平成19)年4月26日: デハ1001がハドソン「桃太郎電鉄」ラッピング化(2010(平成22)年4月25日迄)
  • 2007(平成19)年6月: デハ801検査開始
  • 2007(平成19)年6月: 通販のシステム化実現
  • 2007(平成19)年6月11日: 前社長に懲役年、執行猶予4年の有罪判決下る
  • 2007(平成19)年6月27日: 資本金6,910万円に減資
  • 2007(平成19)年8月4日: 「しあわせ三像」の除幕・入魂の儀
  • 2008(平成20)年5月26日: 市民団体「銚子電鉄サポーターズ」休止
  • 2007(平成19)年4月12日: 上同日、「銚子電鉄サポーターズ」が基金より540万円を寄贈。また約100万円で踏切看板を設置
  • 2009(平成21)年6月21日: 銚電弁当「さんまのかば焼きずし」土日祝限定発売開始
  • 2009(平成21)年10月6日: 愛媛・伊予鉄道から購入した車両4両が搬入される
  • 2010(平成22)年3月13日: ダイヤ改正 (30分ヘッドのパターンダイヤを導入)
  • 2010(平成22)年7月24日: デハ2000形、クハ2500形が営業運転開始
  • 2010(平成22)年12月4日: ダイヤ改正 (パターンダイヤ、敢えなく終了)

震災後

  • 2011(平成23)年3月11日: 東日本大震災発生、その後観光客激減で経営難
  • 2013(平成25)年2月1日: 震災以来の経営難で、自主再建を断念、地元に支援を要請、竹本勝紀が新社長に就任
  • 2015(平成27)年9月15日: 愛媛・伊予鉄道から購入した車両2両が搬入される
  • 2015(平成27)年10月1日: 運賃改定 平均12.1%の運賃値上げ (初乗り150円→180円、銚子〜犬吠/外川 310円→340円)

銚子電鉄は滅びぬ、何度でも蘇るさ! 銚子電鉄の存続こそ、地元の夢だからだ!(たぶん)

補足

元々は総武鉄道(現JR総武線)が計画した路線で、その後銚子遊覧鉄道(4年弱で廃止)、これを引き継ぐ形で後の銚子電鉄が誕生するが、初っぱなから挫折している。

銚子鉄道開業当時のトラブルは鉄道省からSLを借りて乗り越え、後に伊那電気鉄道から電車を譲渡された。戦争末期には国鉄からSLを借りて乗り越え、上田交通(後の上田電鉄)から変電器を購入して凌いだ。

こうして、開業以来一徹、中古だけで凌いできた脅威の鉄道である。

しかし、募金だけは頑として受け入れなかった。日立電鉄が廃業するさい、車両の無償譲渡の話が出たが、運搬費用(200万円と言われている)が払えず、断念することになった。

だがその後は支援の輪が広がり、やはり中古ではあるが新しい車両の購入まで実現された。

ボロくて小さな鉄道だが、恐らく日本で一位二位を争うほどに愛されている鉄道と思われる。

経営状態

あわや廃線かという時期から暫くについてを記載。

2005(平成17)年度の事業売上

2005(平成17)年度の事業売上は、次のように発表されている。

  • 鉄道事業: 約1億1500万円
  • ぬれ煎餅: 約1億8000万円

しかし、約2億円の負債を抱え、経営難に陥った。

2006(平成18)年度の事業売上

2006(平成18)年度の事業売上は、次のように発表されている。

  • 鉄道事業: (金額不明) (乗客数 前期比約6万人増の約71万人)
  • ぬれ煎餅: 約2億8000万円 (前期比約1億円増)

2007(平成19)年度の事業売上

2007(平成19)年度の事業売上は、次のように発表されている。

  • 鉄道事業: 約1億6300万円 (乗客数 前期比約11万7000人増の約83万人)
  • ぬれ煎餅: 約4億2400万円 (前期比約1億4400万円増)

2008(平成20)年度の事業売上

2008(平成20)年度の事業売上は、次のように発表されている。

  • 鉄道事業: 約1億5000万円
  • ぬれ煎餅: 約4億1000万円 (たい焼きなど含む)

所有設備

車両

  • 電気機関車 1両
    • デキ3
  • 電車(制御電動客車) 現役6両
    • デハ1001 (元・営団地下鉄銀座線、台車は元・小田急) 退役決定
    • デハ1002 (元・営団地下鉄銀座線、台車は元・小田急)
    • デハ2001 (元・伊予鉄道800系) デハ2001+クハ2501
    • クハ2501 (元・伊予鉄道800系)
    • デハ2002 (元・伊予鉄道800系) デハ2002+クハ2502
    • クハ2502 (元・伊予鉄道800系)
  • 客車1両(遊覧車/トロッコ客車、定員52人)
    • ユ101「(みお)つくし号」 (元・旧国鉄の有蓋貨車ワム80000形)
  • 営業運転終了
    • デハ701 (元・近江鉄道のモハ51)
    • デハ702 (元・近江鉄道のモハ52)
    • デハ801 (元・伊予鉄道のモハ106)
  • 退役車両
    • デハ101 (元・上田交通)
    • デハ201
    • デハ301 (元・鶴見臨港線モハ115)
    • デハ501 (元・上田交通)

この車両のうち、澪つくし号を牽引できるのは、デハ800形・1000形の3両のみ。

変電設備

  • 笠上黒生変電所 1ヶ所 (遠方制御シリコン制御器300kW、DC600V、300A、1台)

設備更新関係

全ての設備の刷新が必要だが、新品購入は不可能なので、中古で安いものを探して来る必要がある。

車両

車両は、「車体」「台車」と、各種の制御装置等に分けることが可能で、それぞれは別のものを組み合わせることができる。

必要な要件は次のとおり。

  1. 狭軌であること
  2. 電車であること
  3. 電圧は600Vであること (1500Vではない)
  4. 車重は軽め (重いと途中の鉄橋がへし折れる)
  5. 車両は短め (20m車は衝突事故があったので入線禁止。16m程度が望ましい)

変圧器

直流600V出力のものが必要である。現在は300kW。

これが500kW未満なら電験三種を持っていなくても、電工一種(第一種電気工事士)の資格で主任技術者の業務が可能である。

しかし、容量500kW未満の小規模な変圧器整流器を使っている鉄道は少ない。500kW以上では電験三種が必要だが、現在の従業員に所有者が居るかは不明。

いずれにせよ、他社のお下がりを安価に拝借するためには、将来的に設備全ての1500Vへの昇圧は避けられないと考えられる。

銚子〜外川を結ぶ銚子電気鉄道線を営業している。

事件概要

この鉄道はローカル線ではあるが、副業が好調で全体としては黒字経営であった。

しかし、建設会社の元社長が千葉交通から銚子電鉄の株を買い、銚子電鉄の社長に就任し経営権を握った。全く異業種の企業の買収目的は、自社建設会社の経営状態が悪くなったが銀行が融資しないため、鉄道会社の信用を利用して銀行に融資させることが狙いだったと見られている。

10億円ともされる駅舎改築などは自社建設会社に請け負わせて銚子電鉄から自社の運転資金へ転用することもあったが、遂に社長は銚子電鉄名義で神奈川の男性ら4人(報道による。恐らくヤミ金)から1億950万円の借金を実行し全額を着服、個人の借金返済に流用した。

現社長(当時専務)は事件発覚後に私財を投げ打ち、銚子電鉄の株式を取得して社長に就任し、現在に至っている。

ぬれ煎餅祭りまで

ぬれ煎餅事業の好調のため、電鉄は全体としては黒字経営である。しかし、いきなり1億円以上の借金が舞い込み、資金繰りが悪化してしまった。利率が最低の0.06%と仮定しても、年600万円以上返済しないと借金の元金が減らない。

また前社長の刑事事件により銀行の審査も通らなくなり、融資が受けられなくなってしまった。

その上、2006(平成18)年末の電鉄発表時点で、車両の法定点検が資金不足で発注できず、運行に使える5両中1両は車検が切れて使えなくなった。更に年明けまでに1両、年度末までに2両の期限も切れる。点検や車輪交換に1両あたり400万円以上かかるが、日常点検を含めると4両なければ通常運行は維持出来ないとした。

従って、年末までに少なくとも3両分、1200万円が必要である。ぬれ煎餅(単価85円、荒利率約24%)で約60万枚、5000万円分を売らないとならない。

こうしてWebサイトにて「ぬれ煎餅」の購入を求めたところ、爆発的に賛同者が集った。

前社長有罪判決

2007(平成19)年6月11日、千葉地裁の古閑美津恵裁判官は、元社長の内山健治郎被告に対し、懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役5年)を言い渡した。

副業

この鉄道は、駅売店で販売されている「たい焼き」「たこ焼き」や、駅員が仕事の合間に作っている「ぬれ煎餅」が非常に好評である。

特にぬれ煎餅は全国のデパートなど様々な場所で売られており、これは本業の電鉄部門の数倍の売り上げがある。

また都内でも、例えば東京駅の地下街、東京駅八重洲口前の東京駅一番街にある「入船堂本店」のほか、JR総武本線の亀戸駅ホームにあるキヨスクなどで販売されていることが確認されている。

周辺のSA/PA売店でも販売されている。

デキ3

デキ3はドイツ製の2軸凸型電気機関車である。その形状は、凸という字で表現するに相応しい。かつては貨車牽引に使われたが、電鉄が貨物営業から撤退したため、現在は車庫にあり、主として鉄道ファンの被写体になっている。

車体は社員や有志の募金により維持され、現在も奇麗に磨かれており、稼働可能な状態で保存されている同電鉄のマスコットである。その上、現役で営業路線走行可能なデキ3は、世界でもここにしかない。

但し車検が切れているため、日本では営業走行はできない。客車牽引のためにはブレーキの改良も必要である。これら費用の調達は、今後のぬれ煎餅の売上に掛かっている。

なお、同じ名前の機関車デキ3が福井鉄道に存在するが、偶然名前が一致しているだけで、全くの別物である。

煎餅屋兼鉄道会社

前史

まるで廃屋のような本社、横領元社長から株を自腹で買い取るお人好しの専務(その後社長に就任)、2割カットの給料を全員が半額返上で頑張る従業員、労働組合が正常(ある意味異常?)など、この会社は存在自体が奇跡である。

現在は自治体等からは補助金も出ていない。募金は全て断ってきた。募金で成り立つものを会社とは言わないからである。

経営難であるが、地元が存続を求めた署名は9万筆にも上り、地元に熱心に愛される公共交通であるらしい(なお、銚子市民は約7万5000人)。

話題になる以前より地元が支え続けてきたのも、このような姿勢からと考えられる。また、話題になってから支持者が増えた理由も、同様であったものと思われる。

煎餅は本業直伝

銚子電鉄の人は、電車を走らせるために、地元銚子発祥の菓子である「ぬれ煎餅」を焼いている。

銚子電鉄に煎餅の焼き方を伝授した煎餅屋「ぬれ煎餅のイシガミ」は電鉄沿線に多数店舗を持つ名店だが、銚子電鉄が電車を走らせ続けることを望み、無償で技術を教えていると言われている。

煎餅の醬油は地元名産

電鉄沿線に工場があるヤマサ醤油の、ぬれ煎餅専用醬油だれを使っている。

この路線は、明治期にヒゲタ醤油によって興され、今はヤマサ醤油によって経営が支えられている。地元の醬油とは切り離せない鉄道である。

公式サイト

銚子電鉄の公式サイトは銚子インターネット(CIC)がホスティングしているが、銚子電鉄のために無料でスペースを開放していると言われている。

煎餅の噂が広まりアクセス数激増に伴いCIC全体の速度が低下するが、2006(平成18)年11月21日には(内容は不明だが)ネットワークの増強を図り速度が回復した旨をCIC公式サイトにて発表している。

ネットで大好評

由来

資金調達のため、古レールで作った「レール文鎮」や、以前からの人気商品「ぬれ煎餅」の通信販売に力を入れ話題となった。

「電車に乗ってください」ではなく「商品を買ってください」というあたりに現実が垣間見えるが、直に現金化できる既存の業務として、これが最適であるとしている。

騒動

その誠実さ、全てが手作りという純朴さに心打たれ、またその味が評判を呼んだことから、全国よりぬれ煎餅の注文が殺到した。

これは特に、2ちゃんねるの有志活動の影響が大きかったと見られ、ここから各ネットコミュニティに話題が波及していった。

しかし、この手柄を横取りしようとする、テレビ朝日のような浅ましいテレビ局も現われた。

商品の特殊性

例えば、同様に危機的状況だった茨城県鹿島鉄道の場合、チョロQや記念乗車券、懐中時計などが通販の製品ラインナップであり、値段も安くはない。かたや銚子電鉄は「煎餅」である。

どちらが鉄道会社が売るグッズとして普通かと言えば、間違いなく鹿島鉄道である。だが、残念ながら鹿島鉄道のグッズはあまり売れず、結局廃線になってしまった。もし銚子電鉄が同様にしても、決して火は付かなかったと考えられる。

なぜなら、鉄道グッズはマニアしか欲しがらない上、価格が高ければマニアでもためらってしまう。しかも一度買えば終わりである。価格が安く、誰でも買え、また食べたら無くなってしまう食品というラインナップが、最大の特徴だったのである。

そもそもこの場合、「煎餅」という庶民的な食品で、しかも「ぬれ煎餅」という脱力感漂う食品であった。また、ぬれ煎餅はこの地元の特産品という点も土産としては魅力であり、その上、これに社運が掛かっていて、極限まで企業努力したが既にタイムリミットは目前、という絶望的状況だったからこそ日本人の心情に訴えかけられたのだと考えられている。

もっとも、仮に食品でも、もしこれがメロンなどブルジョアジーな食品だったなら、話の展開は違ったものになったと考えられる。悪い例として北海道の夕張市が存在する。

支援の輪

通販

電鉄は全国より応援されることになったが、誰も電鉄に「寄付」はしていない。届くまで数ヶ月待ちでも、誰も催促せず、ただ待ち、リピートオーダーも次々に入った。しかし、金をただで渡しているわけではない。

皆、煎餅と鉄道グッズ、各々が欲しいと思うものを買い、それに対価を支払う。ただの商行為、それだけのことであった。また、広告なども増え、掲示板の広告や車内広告も増えた。だが誰も慈善などしてはおらず、また銚子電鉄も物乞いをしているわけではない。

応援者が増えず消えて行った私鉄は数多いが、ここまで支援の輪が広がったのは、このように、銚子電鉄が常軌を逸して「普通では無かった」ことによると思われる。

もって、今では日本で一番注目される鉄道会社となった。

銚子電鉄サポーターズ

銚子電鉄サポーターズなる市民団体も発足した。

事務所は、JR銚子駅構内にある社団法人銚子市観光協会事務局内に置かれ、顧問として銚子市長などが名を連ねた。

この会は会費を募り基金とし、預金利息等によって増やす。必要に応じて基金は、安全対策サポート、弧廻手形利用者サポート、ボランティアサポートなどの支援に利用される。全額一度に渡さないのは、基金として金額を増やす目的があるからである。

2007(平成19)年4月10日現在で会員は3255人と発表されている。会費は1口1000円からである。

第一回の基金支出は2007(平成19)年4月12日で、安全対策工事用とし、枕木2015本工事代金の970万円が、銚子市役所で行なわれた贈呈式にて寄贈された。

2008(平成20)年5月26日には540万円(合計1510万円)が寄贈され、同日に99万9,600円で踏切看板が設置されたとする。

同会は2008(平成20)年5月26日、一定の成果を上げたとして休止を発表した。

しあわせ三像

2007(平成19)年8月4日、ハドソンの協力により、犬吠駅前広場にて「しあわせ三像」の除幕・入魂の儀が開催された。

これは同社製品「桃太郎電鉄」に登場する「貧乏神」の頭に、それぞれ鳥、犬、猿を乗せた像である。神主により入魂され、玉串が奉納された。

それぞれ次の意味があり、併記する駅に設置された。

貧乏極まる銚子電鉄が貧乏でなくなるように、という願いが込められているもので、ハドソンの粋な計らいである。

車両の更新

銚子電鉄の車両は老朽化が進んでいた。現役5両中、2両(デハ701型、デハ702型)は戦前の1942(昭和17)年製造、1両(デハ801型)は1950(昭和25)年製造と古く、国土交通省からも早期更新を指摘されていた。

伊予鉄道の800系4両が購入できる運びとなったが、付帯工事費も含めて1億4千万円程度費用が掛かるということで、車両導入費用9,300万円のうち2,000万円を債券化し販売することにした。

  • 車両支援オーナー制度 (一口10万円、200口募集、一人最大10口まで)
  • 車両愛称命名権売却 (1編成300万円、期限は廃車まで、設定後は変更不可)

車両支援は一口10万円からとなっており、特典は次の通りだった。

  • 一口につき1年間有効の全線乗車優待券を発行(最高10年間)
  • 車内にオーナー名を掲載(匿名希望の場合は除く)

購入された車両4両は銚子港に到着し陸揚げされた(産経新聞は「漁港から電車を水揚げ」と表現した)。大型トレーラーに移され、2009(平成21)年11月6日未明に仲ノ町駅車庫と笠上黒生駅引き込み線への搬送作業が完了した。

この4両は1962(昭和37)年製造で、京王電鉄が2010系として使用後、伊予鉄道が1984(昭和59)年に譲り受け800系として運行してきたもので、伊予、京王両社の運転士らも、自分たちの運転してきた車両を残したいとしてオーナーに有志で参加している。なかなか熱い。

銚子電鉄は、1編成を京王ライトグリーンに塗装、もう1編成は伊予鉄色のままとし、これをデハ2000形、クハ2500形として2010(平成22)年7月24日から営業運転を開始した。

東日本大震災

煎餅屋の副業として、鉄道の安泰かと思われた。しかし、そこに襲いかかったのは、2011(平成23)年3月11日に発生した平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震だった。

東日本大震災の被災は乗り越えたが、震災後の風評被害による観光客減少などで2011(平成23)年度の乗客は前年度比23%減の約48万人に落ち込み、2013(平成25)年3月期の経常損失は数千万円規模となる見通しとされた。

車両や電気設備その他の維持や交換資金も不足し、運行が継続できない状態となった。

これに伴い、自主再建を進めてきた小川文雄社長は相談役に退き、社外取締役だった税理士の竹本勝紀が新社長に就任した。竹本社長は2013(平成25)年2月1日、「自主再建路線は不可能と判断した。当面の運行に支障はないが、地域の足として存続できるよう、関係者と協議する」として自主再建を断念、地元自治体(銚子市、千葉県)などの支援を要請した。

今後の方針として、銚子市出身の企業家などが設立した財団法人から資金援助を受けたり、上下分離方式を実施したりしながら、経営刷新を進める予定である。

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